2009-01

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イチ流~伝説への宿命~

イチ流~伝説への宿命~ 1月3日(土) テレビ朝日 

 正月の深夜に偶然イチロー選手の番組をやっていたので風呂あがりに見た。ファッション対決などはお遊びだし、義田貴士という人はジャーナリストと名乗っているもののイチロー選手のちょうちん持ちみたいな人だからどうでもいいのだが、興味深かったのは自分の打撃論について語ったところだった。ここでイチロー選手は、打撃法としてよく言われている最短距離でボールを打つことやボールを芯で捉えることを否定して見せた。イチロー選手というとそのストイックな態度から、よくサムライなどと形容されることがあるが、サムライとは美学に生きる保守主義者のことである。しかしイチロー選手が考えていることとは“カタチ(美学)を棄てろ、塁に出ろ”ということだろう。つまりどんな方法であっても、打者の命題とはボールをインフィールドに打ち返して走者になることなのであって、押し付けられた美学を貫いていると試合に参加していることを忘れ孤立してしまう。選手としての自分を無意味化してしまう。前述した方法は誰かにとっては馴染む打撃法であるかもしれないが、それは個人的な問題であってそれを原理化(美学)すると目的が転倒してしまう。いや、試合において生身の人間が投げる、一球たりとも同じではないボールを捉えるために、美しく打つなどということがどれほどの意味を持つのか。投手の投げるボールがバッティングマシンのそれと異なるのは、それが意図の具現化だからだ。投手は打者をアウトにする目的を持っている。それに打者としてどう対応するのか、を考えること。そして試合に参加している一員であることを自覚すること。こう考えるとイチロー選手の打撃論がコペルニクス的転回だと言っても言い過ぎではないだろうと思うがどうか。イチロー選手が別のレベルに到達していると言うべきか。とかく抽象的な技術論になりがちな青少年への指導法を、根本から考え直すべきなのではないかと思った。これはビジネスにも当てはまるのではないだろうか。
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