2017-06

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年末の状況

年末年始ということで、特別番組の編成となっています。しかし、これってどうなんでしょう。夜のニュース番組が各局無くなっています。確認したいんですが、年末年始って事件・事故起きないということだったんでしょうか?そうじゃないでしょう。僕にはこういう感覚ってわかりませんね。報道としての使命を忘れてるんじゃないでしょうか。報道局はこれで良いと考えているのか。30分も時間を取れないなんてやっぱりおかしいと云わざるを得ないんです。みんながバカ笑いしている間も事件は起きているんですから。悪意は眠らないんですから。

お詫びの新しいカタチ

松下のお詫びCMが続いている。死亡事故が起きているのだから当然といえば当然だが、この冬が終るまでおそらく続いていくだろう。広告にならない広告代も莫大なものになるだろう。関係の無いこちらまで不愉快気分になってしまう。少なくとも連続的に入れないでもらえないだろうか。ところでこのCM。女性のコメントのいかにも申し訳なさそうさが好きだ。今後、各企業はお詫びなどがあった場合の危機管理として、この声の持ち主と専属契約を結んでおくことがベストだと言えよう。

下着用意して放送中止

下着ドロの一部始終を撮影するために、被害者の女性宅に張り込んだテレビ関係者の方々。その女性が自分の下着を干すのを拒否したために、スタッフが用意したものを使用して撮影を行ったと。でやっぱりドロはやってきてめでたく撮影できました。ついでに警察につき出しちゃいました、撮影ビデオもいっしょに添えて。これってどこがいけなかったんですかね。だってこれ下着ドロの行動が本質の目的でしょう?それで下着が女性自身のものかどうなかなんて問うことに意味があるんですかね。あくまでもエサだからさぁ、エサ。女性としてはそりゃ嫌でしょう。確かにビデオの提出というのは余計だったけど。最近の若い人の中には警察への対応ということに考えを及ばす訓練の無い人たちが多いようだ。生活の中に警察が介入するということが、どんなことなのかということを学習しなくてはならないだろう。特にマスコミに従事する人たちは。で今回の教訓です。例えスタッフが用意したものでも、一応当人さんに触ってもらって“使用済み”という儀式を行った上で撮影に臨みたい。これなら文句はないでしょう。でもやっぱ1日くらい履いとかないとダメですかねぇ。使用済みの定義を明確にせよ。アホウどもよ。

シカゴ・マラソン中継

風呂上りにテレビをつけて見たらシカゴ・マラソンをやっていたので、そのまま見た。期待の千葉真子さんは惜しくも3位。他では早川英里さんが5位という結果に終った。予め男子は蚊帳の外というのが悲しい…。がんばってるんでしょうけど、ここはひとつカリスマチックな方の登場が欲しいですね。それにしても早川さん、タレントの長谷川理恵さんといっしょに走っていらした方ですか?もうヨレヨレのゴールだったんですが、気力だけで走っていたという印象でしたよね。しかしアミノバイタル所属ということで、大きな大会になればなるだけ大変ですね、こういうの。アミノバイタルですから棄権はできないということでしょう、イメージ的に。自分の成績がその商品の売り上げに少なからず影響があるというのは、すごいプレッシャーという気がします。これからもがんばってください。で、3位の千葉さんなんですが、直後のインタビューでも、増田明美さんとは声の高さが2オクターブくらい違う感じで素敵でした。千葉さんががんばっても織り機は売れないとは思いますが。

まだ闇の中

5日のニュースステーションで松岡修造さんによるレポートが放送されていて途中から見た。女子新体操のなんたらかんたら。途中からなのでどこのチームか判らない、途中で見るのを止めたので結局判らずじまい。ショックだったのだ。ゴルフなどをはじめとする個人競技スポーツが人気となっているこの状況下で、この時代錯誤的な練習方法。要するに“努力・忍耐・根性”の世界。論理的な場面はとても少ないように見えた。特に衝撃的だったのは、途中で失敗すると頭からやり直しというものだ。ここからいったい何が生まれるというのだろう。こういうことをやっていると、選手には競技への自信などというものは育まれず、本番でのたった1回が“成功するか失敗するか分からない”練習からの連続する時間の1場面になってしまうような気がする。実に無駄な時間だ。失敗してしまった選手の中には感極まって泣き出す人もいて、女工哀史を彷彿とさせる場面でさえあった。女性が女性によって抑圧されるのだ。“泣くな!”という言葉にオナニスムが潜んでいることを、私たちは理解しこれを(日本における)スポーツから排除するべきだろう。本来は混乱するくらい泣くべきなのだ。そこから自分たちの置かれている状況を分析してみること。ここに本質的な成長があると考える。写された映像だけを見ても、いかに練習場が異様な雰囲気に覆われているのかが分かる。そこには団体を構成する個々人の、創造された演技への寄与などというものは皆無だ。なぜこうもネガティブな思考に陥るのか。誰もが皆打ちひしがれることのあり得ない彼岸を目指そうとするのか。失敗のないきれいな演技などという志向に、女性に向けられた純潔主義めいたものを僕は感じて不愉快だ。女子バレーはだいぶいい方向にあるようだ。前の監督は粗野を体現したような人物で、“技術継承の構造を持たない”大松時代の復古を思わせた。シンクロも新しい体制ではどうなるか。他の女子団体競技はどうなのだろうか。

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